バビロン ≪歴史・遺跡・文化≫

古代バビロニアおよび新バビロニアの首都として繁栄した古代都市。

その遺跡はイラク共和国の首都バグダード南方約110キロメートルのユーフラテス川河畔にある。

バビロンの名は、シュメール語カ・ディンギル「神の門」を、バビロニア語に訳したバーブ・イル、あるいはイル「神」を複数にしたバーブ・イラーニのギリシア語形で、もとここはメソポタミアの古い神域であった。

バビロンについての記録はアッカド朝シャルカリシャッリ王(前2300ころ)にさかのぼるが、もっとも繁栄したのはバビロン第1王朝、とりわけ英主ハムラビ王(在位前1792~前1750または前1728~前1686)の時代であった。

バビロン第9王朝を継ぐ新バビロニアの第2代ネブカドネザル2世のもとでバビロンは新たに補修・造営されたが、前539年にアケメネス朝ペルシアの攻撃を受けてこの王朝は倒れ、ついでこの地に入ったマケドニアのアレクサンドロス大王がここで没してから、セレウコス朝のもとで近くにセレウキアが建設されたためにバビロンは衰退した。

バビロンについては『旧・新約聖書』、古典古代の著述家が種々の伝承・記述を伝えている。

『旧約聖書』では、いわゆるバベルの塔(ジッグラト)、バビロニアによるユダ王国の征服、バビロン捕囚(前597、前586)とバビロンからの帰還、バビロンの陥落などが記されており、とりわけバビロン(新バビロニア)の横暴を憤り、その滅亡を予言する「エレミヤ書」、捕囚の苦しみを歌う「詩篇」第137篇などはよく知られている。

近代になって、ハムラビ法典やバビロンの新年祭(アキトゥー祭)文書、多くの年代記などの楔形(くさびがた)文字文書から、バビロンをめぐる歴史、宗教、社会などがかなり明らかになった。

また1899~1917年にはR・コルデウァイの指揮下にドイツ調査団がこの地を発掘し、主としてネブカドネザル2世治下のバビロンが確認された。
update:2010年02月01日